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2007年01月15日


震災って

朝日新聞を読んでくださった方からのメールです。

私は震災があった日は、小学校1年生でした。
朝日新聞の記事を読んで投稿します。

私も、春名さんと同じように両親の苦労というのを当時考えられませんでした。
ただ、家が倒壊したこと、学校が休みになったことだけが強く印象にのこりました。

後になって親は大変な苦労をしたんだろうなと今思います。

18歳の今、改めてこのブログを読んでみて神戸の震災がどれだけすごかったのかを思い返しました。  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 19:37 │Comments(1)


2007年01月15日


ただ、私たち家族は生きながら・・・。

先日の朝日新聞を読んでくださった方から、メールが届きました。
ご本人への確認の上、掲載させていただきます。

私は神戸に住んでいませんでしたが
当時のことを振り替えさせていただきます



私は当時、小学生でした
時期はずれ?なインフルエンザもしくは高熱の風邪にみまわれていたので、当時の記憶はとても苦しいものです


その日の夜中、公団の13階に住んでいた私は、風邪をうつさない為に隔離されるべきでしたが
弱虫で泣き虫な私を気遣い、入院させず
母親の隣で寝ていたことを覚えています

そんな中、ふと夜中に目が覚め、急に吐き気をもよおし、力を振りしぼって立ち上がろうとした瞬間でした・・・

地響きとともに、あのとてつもない揺れ
住んでいた場所は泉大津市でしたが
高層に住み、免震設備などそんなになかった時代です

特に建物が古く、そんな対処などあまりされていなかったのでしょう

今にも外に飛び出してしまいそうなほどの揺れ

母親は私に覆いかぶさり

「死ぬなら、息子だけは」

そう耳元で叫んでいるのが聞こえました

まず電気が落ち、冷蔵庫から物が飛び出し、食器棚からは激しい轟音の中、飛び出した食器の割れる音
タンスが母親の上に倒れてきました。私の背中にも衝撃が走りました
タンスは三つあり、足元にひとつ、その上にかぶさるように一つ、そして本来なら私の頭めがけて倒れてきた一つです

揺れはゆっくりになるどころか激しさを増し、引いていく気配はしませんでした

当時の私の頭の中で、一室そのものが外に落ちていく感じがしたのを覚えています

襖は倒れ、当時飼っていたハムスターが必死に鳴いているのを聞いて、そこで初めて夢ではないということを感じました



揺れが引いたのは十分くらいでしょうか
ものすごい長い間揺れが残り

動いた後も、まだ揺れていました
そして、床が抜けてしまうかもしれないと心配しながら
テレビをテレビ台の上に戻し
震災を知ったのです

窓から外を見ると、火災が発生している状況
私の住んでいる地域は震度2と表示されましたが
私たちの体験した震度ははるかに高かったのを覚えています

そして、外がざわつき始め、初めてドアを開ける
廊下には以上がなく、落下する恐れもなさそうなので
私はフラフラのなか、エレベーターホールに足を運びました

いつもと同じ状況に見えたのは一瞬でした
エレベーターホールからは
ガス発電所が見え、そこから煙が立ち昇る

それが、その向こうに見える神戸の町、そして淡路島

赤い光に包まれながら、巨大な煙が立ち込める
まるで映画のワンシーンを思わせるようなその光景を見て
私はたくさんの命、叫びを肌で感じ、そして愕然としながら地面に倒れこみました

本来あるべき光景、それが一瞬のうちに消える。
私にとってそれ以上の悪夢が待っているとは思いもよらないことでした


ニュースを見て顔面蒼白な父
趣味で集めていた食器をなくし、泣きながら途方にくれる母
倒れた物、落ちてきたものを直す兄
震えるハムスターを抱きかかえる私


普段なら学校に行くはずの私は、この日は休みました
兄は小学校に行き、避難するとともに授業を受けに行きました
母は看病のために仕事を休みました

父は、何も言わず、自分が店長をしている難波駅地下のアクセサリーショップへと向かいました


私は何も言うことが出来ず。何もしてあげられませんでした





お昼ごろになって、心配した父から電話が来ました
泣いている。母がそう言いました




お昼に家に帰ってきた父は珍しく泣いていました

「神戸の本社が倒壊、仕事がなくなった」

母は泣き崩れ、父も泣き崩れました

小学生だった私は事態を飲み込めず
毎日父と遊べるのだと誤認しました

母が泣き崩れた理由は
そこが結婚する前に母が働いていた場所であり
出会った場所であり
社長にもお世話になった
それである


被災地に住んでいたわけではなく
家族も無事

ただ、私たち家族は生きながら、倒壊も経験せずに被災者となったのです
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 19:34 │Comments(0)


2007年01月11日


新聞掲載

昨日の朝日新聞・夕刊で当サイトをご紹介していただきました!
バケツリレーのサイトを立ち上げるきっかけなどを書いていただいていますので是非読んでみてくださいね!

  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 11:37 │Comments(0) │お知らせ☆


2006年10月04日


バケツリレーからお知らせ

ブログが新しくなりました!!

新規投稿より皆様の震災体験をお待ちしております。

ko-coのメンバーではない方は、haruna@equiv.netまで体験談をお寄せ下さい。  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:38 │Comments(0) │お知らせ☆


2006年10月04日


あのときのこと

あの日、今までに経験したことのない大きな揺れがきて、家族中が怖さでいっぱいになったことを覚えています。私の仕事は本屋さんですが、店に出てみると、固い本棚が真ん中から折れていました。本棚の本が床に落ち、腰のたかさまでつもり、本をかきわけ、かきわけ、前に進んでいきました。何とか店を元に戻さなければいけないと、仲間みんなで一生懸命、折れた本棚を運び出し、あふれた本を段ボール箱につめていきました。そして折れた本棚同士をつなぎあわせ、一つずつ店に並べていきました。みんなが力を合わせたおかげで、震災の日から2週間で店を再開することが出来ました。再開した日には、たくさんのお客さんが来てくださり、自分のことのように喜んでくれました。

私はこのとき感じたことは、みんなで力を合わせれば何とか成る!そしてたった一人ではない、周りの人たちが支えて下さっている、ということでした。

今でも感謝の気持ちでいっぱいです。



ジュンク堂 三宮店 山下
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:30 │Comments(0)


2006年10月04日


震災のとき

阪神淡路大震災があったとき、私は中学3年生でした。

ちょうど高校受験まえで、震災があった日の夜は遅くまで勉強をしていました。



なんとなく、その日は眠れなくて朝5時ごろに目が覚めてしまいました。

ボーっと窓から外を眺めていると、空が真っ赤に見えました。とても不気味でした。



「どーん」という音とともに、突然大きな揺れが襲ってきました。まるでジェットコースターに乗っているようで布団の中に頭を隠しながら、「どうしよう、どうしよう・・・」と考えていました。



揺れがおさまると、外からは「キャー」という悲鳴のようなものが聞こえてきました。

妹たちと外に飛び出していくと、同級生の女の子が倒壊した自分の家の前でボーゼンとたっていました。

「だいじょうぶやった?」

と声をかけると、

「私は大丈夫やねんけど、妹がまだ埋まってるねん。」

といいました。妹さんは私もよく知っている子です。

「おかあさん、おとうさん、おねいちゃん・・・」

という声がガレキの下から聞こえます。でも、その声はだんだん小さくなっていきました。

救助の人は中々来ません・・・。外には報道のヘリコプターが飛んでいて、声が聞こえません・・・。

「早く助けなきゃ!!」

と、近所の人が集まってきました。私には何も出来ません。ただその様子をみつめていることしかできませんでした。

それから1時間~2時間ぐらいして、やっとその子は助け出されました。

けれども、もう亡くなっていました。

もっと早く助けることはできなかったのだろうか?何で、私は見ていることしかできなかったのだろうか、と今でも考えることがあります。



その後の高校入試ではあのときの光景が忘れられず、全く何も書けませんでした。

今でも、あの時どうして自分は見ていることしかできなかったのだろうか、どうしてもっと早く助けてあげられなかったのか、と考えます。



私にとり、震災を経験したことで自分の弱さをしる機会にもなりました。

今でも自問自答を繰り返しながら、震災について考えます。

あの経験をもとに、もっと強い自分になりたいと思います。

灘区・H.P  26歳
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:30 │Comments(0)


2006年10月04日


地震でなくしたもの

私のおうちは地震で倒壊してしまいました。

学校も倒壊してしまいました。

幸い、家族は何とか逃げ出すことができたのですが家族の思い出、私の宝物はすべて家や、学校に置いたままでした。



今思えば、神戸で震災なんて家族の誰もが考えていなかったと思います。

震災のために何も用意をしていなかった私たちは、何とか取り出せるものだけを持って、小学校に逃げました。



学校には、親友からもらった手紙など、大切にしていた物を置いたままでした。「取りに行きたい。」と両親に頼みました。「アホか!!いま学校の中に入ったら死んでしまうぞ。」といわれて、たくさん涙がでてきました。



大好きな、学校、家が一瞬でなくなってしまいました。



遠くから友達が「○○チャーン!!だいじょうぶ??」と言ってこっちに近づいてきました。

友達の顔を見て、安心とこれからの不安とで胸がいっぱいになりもっと涙がでてきました。



あれから10年たって、ウチでは新しいおうちが建ちました。

学校も新しい校舎がったっています。



けれども、今でも少し揺れただけで眠れなくなってしまいます。



神戸の街は、10年ですっかり元通りになったかもしれません。

けれども、私たちの心の中では忘れることのできないツライ思い出です。



前向きに考えることができるまで、もう少し時間がかかりそうですが、あのときを教訓に我が家では変わったことがたくさんあります。



おうちには、地震の時のために食料や水を常に用意するようになりました。

大切なものはすぐに持ち出せるように、かばんの中に詰めてあります。



家族全員の意識が前と違うような気がします。当時小学生だった私ですが、現在大学生です。

保育園の先生を目指しています。

私たちの経験から学んだことを子供たちに少しでも伝えられたらな、と思っています。



須磨区・○×・20歳・学生
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:29 │Comments(0)


2006年10月04日


ボランティア活動で得たもの

震災の時、私は高校一年生でした。見慣れた街が地震で壊されてしまい、
大きなショックを受けました。もう神戸は元に戻らないのではないか、と思いました。


震災後、灘区の川沿いの公園で1ヶ月ほどボランティア活動に参加したのですが、
神戸のみなさんはもちろん、日本全国からたくさんの方が、避難所の応援や
炊き出し、救援物資の配達に参加されていました。あの時、被災者もボランティア
も力をあわせて、何とかピンチを乗り越えようと必死でした。

あれから10年以上が経ち、神戸の街並みからは、すでに震災の様子を
知ることはできなくなってしまいました。けれども、あの時のみんなで力を
合わせてピンチを乗り越えた経験は、私にとって大切な財産になっています。

力を合わせて取り組むことの大切さを、みなさんも神戸の街並みを
歩くときに、実感してもらえればと思います。



27歳 会社員
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:29 │Comments(0)


2006年10月04日


震災で見たもの

私が小学生の時にあった阪神淡路大震災は、私にとって今でも忘れられない出来事です。



私の家の近所のたくさんの家が倒壊しました。ライフラインといわれる、水道、ガス、電気は全て止まってしまい、お風呂にもはいれないしトイレにも行けない・・・家の中はぐちゃぐちゃ、食べ物もない・・・。

本当に「日本中がめちゃくちゃになってしまった!!」とその時思いました。



隣の家の人が、水道管が破裂してそこから水がわきでているからそこに水を汲みに行こう、と誘いにきてくれ、私も両親と一緒に、大きなバケツやペットボトルをもって歩いていきました。



既にそこには大行列ができていて、みんなが我こそ先にと水を汲んでいました。

母が「とにかく、人間は水がないと生きていけないんだから頑張ってこの水を持って帰ろう」と私に言いました。



「水がないと生きていけない・・・。」という母の言葉を聞いて、震災の事の重大さをそこで実感しました。

そして不安で胸がいっぱいになり涙があふれてきました。



水を汲んだ帰り道、近くのコンビニで暴動が起きました。

コンビニの割れたガラスをさらに叩き割って中に侵入している人がいました。

両手いっぱいに食べ物を盗んで持ち帰っていたのです。

たくさんの人がいました。

食べ物をめぐって殴りあう人たちもいました。



不安の気持ちでどんどん涙があふれ、これから私たちはどうなってしまうんだろうと思いました。

そして、こういうときに人は変わってしまうことを知りました。



あれから10年がたって、神戸の街はきれいになりました。

電気、ガス、水道は普通に使えるし、食べ物には不自由しません。



震災を経験して、私たちの今の生活はとても恵まれているんだ、ということを知りました。

こんなに恵まれている環境にいるため、ソレが普通になってしまっています。



世界の他の国では、日本のように環境の整った国は少ないと聞きました。

恵まれた環境の中にいる私たちは、電気やガス、水の無駄遣いをしてしまったり、食べ物を粗末にしてしまいがちです。



震災を経験して、普段の私たちの生活がとても贅沢なものなのではないかと思うようになりました。

今、私たちのもっている資源を大切にしようと思うきっかけにもなりました。



震災を知らない皆様にお願いです。

震災や、他の災害のことを勉強するときもう一度皆さんのまわりを見つめなおしてください。

今ある、私たちの生活環境は本当に素晴らしく恵まれています。

それを大切にしてください・・・。



神戸市・22歳・大学生
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:29 │Comments(0)


2006年10月04日


カメラマンを目指していました。

10年前の神戸の地震があったとき、僕はカメラマンを目指していました。



震災があって直ぐに僕はカメラをもって外に飛び出しました。

大変なことになった、これはたくさんの人が亡くなっているに違いない。

と思ったからです。



その時僕は一人暮らしをしていて、長田に住んでいました。

たくさんの人が呆然と外に出ていました。

倒壊した家に取り残された人もたくさんいて、家族が必死に叫びながら取り残された人を助けようとしていました。



必死でシャッターを切りました。



写真を撮りだしてどのくらいたった後かは覚えていませんが、そのうち火の手が上がりました。

たくさんの家が燃えていきます。



火の手が隣の家、その隣の家とまわっていき、あたりは煙で真っ暗になりました。

「写真を撮らなくては」と、火のほうに近づいていきたくさんの写真をとりました。



たくさんの人が燃えていく自分の家を、ただただみつめていました。




長田の家が燃えていくとき、その家に住んでいた方々のたくさんの思い出までが燃えてなくなってしまいました。



その思いを考えると今も涙が出てきます。



10年経ってあの時の写真を見ることはできません。

というよりも見れないのです。



燃えてしまった長田の街も今ではきれいになりましたが、僕にとってあの時の写真を見れるようにはもう少し時間がかかりそうでうす。



僕の中で、阪神淡路大震災はまだ続いています。



38歳・カメラマン
  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:29 │Comments(0)


2006年10月04日


今、子供達に伝えたいこと

私が震災を体験して、子供達に伝えたいことは、自分で考える力を持って下さいということ、

常に、今自分はなぜその行動をしているのかを意識しながら行動をして欲しいということです。



地震の後、一瞬映ったテレビはその後一切動きませんでした。

電気・水道が止まり、とりあえず当時生後4ヶ月の子供の水を、駅前のスーパーで購入しました。

駅前の住宅の殆どが倒壊し、公衆電話の前には長い行列ができていました。



震災翌日、何の情報も無い中、私達が選んだのは避難所ではなく、夫の実家のある大阪に向かうことでした。現地に留まっていてもいずれ、食料も確保できなくなると判断したからです。



その後、収入を確保するために地震後2週間後の2月1日には東京で洋服の販売を開始しました。被災したからと、以前の収入を誰かが保障してくれるわけではなかったですから。



あの時私は、自分で判断し即座に行動することができました。

助けを待つのではなく、自分から少しでもその危機から逃れようとしました。

“災害が起きたら避難所へ”そのマニュアルとは違う方法を私は選んだのです。マニュアルは全ての人にとって最善策になるわけではなく、最悪の状況を防ぐためのものかもしれません。人によって状況によって最善策は違うでしょうから。



だから私は思います。どんな状況にあっても自分にとっての最善の道を選択できる判断力を普段の生活から身につけて欲しいと。


神戸市中央区 古着屋経営 女性
  
   
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Posted by バケツリレースタッフ at 17:27 │Comments(0)


2006年10月04日


震災体験 ~オリバーソース株式会社~

平成7年1月17日未明、猛烈に突き上げてくる大きな塊に身体と家具を翻弄されながら、住吉の自宅を飛び出し、ずたずたになった山手幹線を一人西へ。

目に映る見慣れた通勤路は別の景色で過ぎ去っていき、不気味な予感と二人連れで兵庫区に入った頃から、赤黒い煙が行く手をさえぎりだしました。

オリバーソース株式会社は本社・工場のうち、事務棟を含む3棟を全焼、残ったソース製造設備はことごとく倒壊という、壊滅的な被害を被っていました。

「事業再開は無理かもしれない。」一瞬、不安が心の底でよぎりました。

被災の中心地とあってライフラインの復旧が大幅に遅れ、さらに本社のある兵庫区松本通が、突然道路拡幅を伴う区画整理特別地域に指定され、、神戸市の震災復興計画に全面協力して、ようやく仮復旧した工場を明け渡し、市の推奨するポートアイランドⅡ期への移転を決意したのです。

「自然災害」という、やたら大きな石につまずいて思いっきり転んでしまったわけですが、泥まみれになってふと振り返ると、この石がみごと大きな踏み台に見え始めました。

移転先の港島工場は、場所柄、環境を重視した清潔な施設であることが求められ、旧来の製造機器の制約から開放されるため、斬新なアイデアを盛り込んだ新工場の建設は当社にとって大変意義深いものとなっています。

しかし、それらの中でも、「震災を真正面から踏み越えて、再び愛する神戸のど真ん中、新しい土の上に一番乗りで再出発する。」という、全社員の自負と心理的高揚が、何者にも代え難い底力となって発展していく事を信じています。



オリバーソース株式会社 代表 道満 雅彦

  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:27 │Comments(0)


2006年10月04日


震災体験

私は当時大阪に住んでいて、神戸の大学に通っていました。

買ったばかりのギターが嬉しくて、朝方まで弾いていました。

その時、突然地震が起こりました。



最初はよく起こる地震の揺れでしたが、あれ長いと思った頃に
はまるで、誰かに思い切り肩を揺さぶられているようなの揺れになりました。

となりの部屋の戸棚から食器が落ちてガシャンガシャンと割れる音がしました。
動けないという状態を私は初めて体験して、地震に対して初めて恐怖を感じました。



揺れがおさまった後、すぐテレビをつけました。ニュースでは、次々と状況が変わっていきました。
普段歩いていた街中からいくつもの煙が上がる映像が流れました。
いつも横を通っていた道にあるカツどん屋さんは倒壊し、友達の家のすぐ横の伊丹駅がつぶれていました。
時間を追うごとに死者の数はどんどん増えていきました。



芦屋に住んでいた友達が避難所にいることが分かったので、たずねに行きました。
大阪の街は普段通りでした。

ただ、阪急の梅田駅にはリュックサックを背負ったジャージ姿の人達がたくさんいました。



神戸線にのり、武庫之荘をこえ、西宮に近づくにつれて、町並みは変わっていきました。
電車は西宮止まりだったので、そこから芦屋までは歩きました。



道路の横の住宅は壊れ、街中にかびの匂いが漂い、とどまることなく埃が舞っていました。
普段通りの大阪からきた私には落差が激しくそのギャップがすごくショックでした。



そんな時、前から一人の男の人が歩いてきました。
スーツ姿の30歳くらいの方でした。その人は泣いていました。
涙をただただ流しながら、それをぬぐいもせずに歩いていました。

今でもその姿は忘れられません。


大阪府 女性

  
   
 * 



Posted by バケツリレースタッフ at 17:26 │Comments(0)

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